バッハ無伴奏補完委員会
 

ミッシャ・マイスキーのバッハ無伴奏チェロ組曲
~1999年録音(新)~

ミッシャ・マイスキーの1984年の録音に続く、2度目の録音である。

1999年に録音されたこちらは、インターネット上のとある情報ではかなり好き放題にやっているらしいようなことが書かれていた。どちらかというと楽譜通りに真面目に、端正に演奏されたものの方が好きな自分としては、敬遠していたのだが、ちょっと先入観なしに虚心坦懐に聴いてみることにした。


第1番プレリュードは、昨今の古楽器演奏を思わせるような、速いテンポで弾き始めている。ゆったりめの演奏が好きな自分としては、「おや?ハズレかな…」とちょっと不安になったが、マイスキーはただ速いだけでなく、途中で急にテンポを落としてまた速くしたり、という独特のアゴーギクをつけている。なるほど、これは派手に好き勝手に弾いているな…と思いつつ、聴き進む。
次のアルマンド、クーラントは、うってかわって楽譜通りの、あまりテンポを揺らさない自分好みの弾き方だ。これはいいな…などと思ってだんだん聴き進むにつれ。

…(-"-;)ん?


こ、これは…(O_O;)


なんだ、これは…すごく、いいではないか。
第1番、第2番と聴いていくうち、ぐいぐい惹きこまれていく。


なにがすごいって、この、テンポを遅くしたり速くしたり、緩急自在に弾いているその音の向こうに感じられる、音の背後から漂ってくる、只ならぬ深い精神性である。
1音1音からものすごく、マイスキーの精神のうねりというか、人を圧倒して飲み込み、魅了してしまう迫力とでもいうのか。そういう、何か言葉では言い尽くせないものがビシバシ伝わってくる。


音の背後にある、偉大で高貴な精神エネルギーの塊そのものとでもいうべきものが。


伝わってくるものが物凄すぎて、私は己の魂が奥底から震えるような感覚を味わった。
また、録音も生々しいというか、マイスキーの息遣いが聞こえてくるようで、まるでマイスキーがすぐそばで弾いているかのように聴こえる。
リズミカルな楽章では、マイスキーが今にもチェロごと飛び跳ねてしまうのではないかと思うくらいに溌溂と生き生きと表現されている。
ゆっくりな楽章では、息の長い音に託されたマイスキーの歌が朗々と響き渡る。


すべてが、今まで聴いたどんなCDとも違って、しかも圧倒的な精神性を持って、私を捉えて放さなかった。


ピエール・フルニエの演奏が「楷書体」と言われるのなら、さしずめこのマイスキーの演奏は行書体だろうか。草書体だろうか。

マイスキーのは、まるで床一面に敷き詰めた広大な書道用紙に、自分の身の丈ほどもある長く太い大筆をふるって、気合一閃、えいやっ!と巨大な書を描くような、そんな演奏である。

紙上に描かれた線の運び具合から、書道家の精神のうねり、勢い、迫力、そして繊細さといったものが感じられ、見る者を感動させるのと同じように。

マイスキーのこの演奏からは、崇高にして偉大なる、人間精神のうねり、高まりが感じられる。
それはまるで、シェイクスピアの悲劇を読んでいるかのような、あの圧倒され飲み込まれるかのような感覚と似ている。


マイスキーはこの演奏で、間違いなく「巨匠」の域に達した。
カザルスの録音と並ぶ高みに、すでに達している。


現在はまだ、マイスキーが存命中だから、それほど評価されていないのかもしれないが、今から数十年の時を経て、マイスキーが没した後、誰一人としてマイスキーのような演奏ができないことに多くの人が気づき始めたとき、このCDは不朽の名盤としてカザルスのそれと並び称されるほどの賞賛を勝ち得るだろう。

そして、カザルスがチェロの神様とまで言われるように、マイスキーもカザルスに次いでやはりチェロの神様と呼ばれる日が来るに違いない。


それほど、この1999年録音に込められたマイスキーの心の歌は、人の魂を揺さぶる力を持っている。

これこそ、超一級の芸術品と呼ぶにふさわしい。
他のCDは、エンターテインメントとは呼べても、芸術品とまでは呼べないものが多い。
とりあえず自分の中では、カザルスとマイスキーの1999年録音、この二つが真に芸術品と呼べるものという位置づけになっている。

(2010年7月9日)

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